陰間の仕立て 【江戸と上方の違い】

陰間の仕立て 【江戸と上方の違い】

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江戸出身者は気が荒い傾向にあったため、色を売る子たちは物腰や言葉使いのが柔らかな上方(畿内)出身者が好まれた。

そのため江戸などの上方以外の出身の子であってもはじめて座に出すときは上方出身の子です、と披露され、陰間の多くが上方語を使っていたという

江戸時代の男色は上方と江戸とでかなり毛色が異なる
公家文化や武家文化の背景を持つ土地である上方に比べ、江戸はそれがないのも一要因。
当時の男色と深い関係にあった歌舞伎も上方から伝わったもので役者を育成する仕組みに男色に組み込まれていたのだが、それも江戸に伝播し、時代を重ねるにつれ本来の意味合いを薄めていき徐々に売色風俗の色味を増していくのに対し、上方では本来の色味を残していた

上方ではいくつも陰間の仕立てについて細かく記した本が書かれている
いちぶのり】や【棒薬】などの陰間の仕立て方が書かれている「女大楽宝開」、「女貞訓下所文庫」「艶道日夜女宝記」など
いずれも挿絵は月岡雪鼎

« 江戸の少年愛

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